ちり山つも美の部屋

塵も積もれば 道は開ける

車輪の下で(ヘルマン・ヘッセ)【3分で解説】 

 

 

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

 

 

 車輪の下で」

作者:ヘルマン・ヘッセ

訳:永松美穂

出版社:光文社古典新訳文庫

 

幾度となく挫折してきた、古典文学に挑戦したくて、読みやすそうなものを漁ってました。

そこで、「光文社古典新訳文庫」なる、現代語に著し直されたレーベルを発見。僥倖。
 
いろいろ見た中で、かなり興味の持てる内容っぽかったので、本書を選びました。
元優秀な生徒のなれの果ての物語と聞いて、僅かながら自分に近いものを感じ、手にとって見たものの、その凄絶なラストに読むのを止めてしまいそうに。
読後の沈痛な気分は、しばらく消えませんでした。
 
 
●物語(完全なるネタバレ)●
天才的な勤勉さを持ち、多くの人の期待を背負った少年、ハンス・ギーベンラート。
彼は釣りや散歩などの少年らしい愉しい時間を、全て勉学につぎ込みながら、トップの成績で州試験に合格し、憧れの神学校に進学する。
 
試験終了後の数週間の休暇に、久々の癒しを求め、釣りをしてのんびり過ごそうと計画していたハンス。
だが、牧師や校長の勧めで、毎晩夜遅くまで歯を食いしばりながら机に向かう生活に戻されてしまう。
父はというと、自分以上の人間に我が子が育つという、平凡な理想を通してしかハンスを見ることができず、彼の心を考えようとはしなかった。
唯一、靴屋の親方だけは、ハンスの心身を思い、安息の時間が必要と伝えるが、ハンスはそれを息苦しく感じるだけだった。
 
神学校に入学したハンスには、ハイルナーという親友ができる。彼は知性に溢れ、独自の考えを持ち、他の生徒とは一線を画していた。
ハイルナーとの出逢いで、ハンスはそれまで自身が信じてやまなかったもの、勉学こそが全てであり、正義であるという考えに疑問を持つようになる。
ハンスはハイルナーとの友情を誇りに思い、慈しむと考える一方で、それが重荷にもなっていた。
ハイルナーはほとんど毎日、ハンスの部屋にやってきては勉強の邪魔をした。ハンスは授業についていくため勉強時間を二倍にしたが、自分を鼓舞しなくては集中できなくなっている自分に不安を覚えていた。
ある日、ハイルナーが暴力沙汰を起こし、謹慎処分を受ける。それは非常に重い烙印であり、自身の評判を下げたくなかったハンスは、ハイルナーから逃げてしまう。ハイルナーは落胆したが、罪悪感にかられたハンスは謝罪をし、二人は和解。勉強以外に大切なものを知らなかったハンスだったが、ハイルナーの存在が、彼に友情の大切さを教えた。
 
その頃からハンスは授業中にぼーっとしたり、居眠りをしてしまうようになり、彼自身、記憶の衰えを感じはじめる。
 
その後、ハイルナーは「天才旅行」と称して、学校から逃亡し、自分の能力を誇示しようとしたが、そのまま退学になった。
教師たちはハンスも共謀していたと考え、彼を異端者扱いするようになる。
勉強のできなくなったハンスを非難し軽蔑する教師たち。
彼らはちっぽけで野蛮な虚栄心をハンスに押し付け、その結果、ハンスは弱くて力ない微笑を浮かべることしかできなくなった。
 
全てを消失し、精神疾患と診断されたハンスは、帰郷することになった。彼の中にあった見栄っ張りな希望がようやく消えていった。
 
多感で脆い少年時代に、ハンスは子どもらしい愉しみを奪われ、強迫観念に勉強をさせらてきた。それがなくなった今でさえ、ふとした瞬間にギリシャ語の文法が頭の中をぐるぐる回り、ハンスの心を傷つけ、罪の意識があの微笑みを浮かばせた。
ハンスは次第に死に憧れを持つようになる。死に場所を探すことで心が安らぎ、いつでも死ぬことができるという優越感が快楽となって、苦しい想像の世界から彼を解放した。
 
しかし、若さという静かな粘り強さが彼から希死念慮を消失させた。
父の勧めで機械工になったハンスだが、惨めさや屈辱を感じ、これまで何のために多くを犠牲にしてきたのかと憤る。しかし、次第に仕事に慣れ、仕事場での仲間意が深まる中で、肉体労働者に対しての”惨めな俗物"という印象は変わっていき、誇りと輝きを持った尊敬の対象となった。
 
だが、それでもハンスはときどき絶望の世界を求めてしまう。
同僚に誘われ、仲間と飲みに行った帰り、泥酔したハンスは過去のフラッシュバックに襲われる。
恥。自己非難。
それらから、ハンスはとうとう逃れることができなかった。
 
翌日、溺れ死んだハンスの遺体が、家に運ばれた。
なぜ彼が川に落ちたのか、誰も分からなかった。
 
 
●感想●
ハンスは最初から最期まで、親や教師たちから受けてきた、勉学至上主義教育から逃れることがでませんでした。
ヘルマン・ヘッセは、当時のドイツの教育方針・理念に問題提起し、本来あるべき子どもの姿の対をなすものとして、ハンスを描いたのだと考えられます。
訳者の永松氏の解説にあるように、時代も国境も超えて、この物語が世界中で読まれているのは、今日でも教育の在り方が問われ続けているからにほかなりません。
いつか私が子を持つ親になる日がきたとき、子どもにどう触れるべきか、どういう親であるべきか、自分なりの答えを見つけるのを手伝う役割を、本書は果たしてくれると感じました。
車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)